大工舎 作り手からメッセージ。青森県八戸市で無垢材、木造新築住宅なら大工舎

作り手からのメッセージ

2017年04月05日
木育(もくいく)

木育(もくいく)
 最近、木育という言葉を覚えました。
「子供をはじめとするすべての人々が、木とふれあい、木に学び、木と生きる」
だそうです。

 毎日木材を相手にして思うこと、
木を使って仕事ができ、癒され、端材は薪ストーブにくべ暖を取っています。
ありがたいです。

 毎月通っている床屋さんに言われた言葉、
「人によって髪の匂いは様々ですが、平戸さんはいつも木の匂いがします。」
うれしいような、生活を見られているようで、はずかしいような。
同じことを娘も小学生の頃、同級生に言われました。
「○○ちゃんは木の匂い。」
我が家は木だらけの家なので一家で同じ匂いかも・・・。
これも一つの木育なのかもしれません。
私も木に育てられています。
木育(もくいく)

2016年10月26日
大工になって20年、日本の家づくり、大工舎の家づくり

大工になって20年、日本の家づくり、大工舎の家づくり
世界の家作りの歴史を考えると、必ずその土地で手に入る素材が使われます。
例えばヨーロッパの家をイメージすると石造りが思い出されます。
北米カナダはログハウス。住んでいる地場から材料を調達、家とはそういうものなのです。

日本は木の文化が世界的に見て突出している国です。
温暖湿潤な気候は樹木が育つ環境としては理想的です。そんな木材資源の豊かなこの国で、木の文化が成熟してきたのはごく自然なことだと思います。
先人たちが育んできた科学的で合理手的な大工技能のバトンを、次の世代に渡すことが預かった者の責任だと思います。日々の生活の為だけの仕事ではなく、短い人生を充実させる、生き方としての仕事をこの先も続けていけたら幸せです。

私は集成材や合板を木材だと思ったことはありません。
木を原料とした工業製品だと思っています。否定するつもりはありません。
それぞれ特徴にあった使い方を私もしています。
ただ木材と同列に語ってほしくないだけです。
例えば合板を使った野地板(屋根下地板)。年数が経ち解体すると無垢の野地板より腐りが大きく感じます。思うに合板の構造上湿気は 逃げづらいからです。
集成材で使われている接着剤はこの先剥がれたりしないのだろうか。5枚貼りあわせた板が柱なのに上下逆になっていることがよくあり、大工としては違和感が充満します。
結局木材も製材される前は山に生えていた植物であり、生き物だったのです。
こちらの都合で殺したのですから死骸は丁寧に扱ってあげなければと思ってしまいます。
 
大工になって20年、日本の家づくり、大工舎の家づくり
大工になり20年になります。(この写真は私です)
未だに木の木目と色と匂いに惚れてしまいます。
完璧に物をこしらえても木目の綺麗さには勝てません。
それで考えました。自分の技を見せる物作りではなく、木目を引き立たせる物作りだな。
綺麗な木目を見るとその木の出身地に思いを馳せたりします。

木造住宅、コンクリート住宅、鉄骨造住宅、外観を見ても内観を見ても違いが判らない。床はフローリング、壁天井はビニールクロスで覆われていて構造は二の次です。
雑誌で古民家を特集していました。柱、梁、桁、小屋組み、風雪に耐えてきた頑丈な木組みです。複雑に組んである小屋組みは、まるで芸術家の作品のようです。百数十年後の日本人に感動与える建物。百数十年経ち、本当に技術は進化してきたのか疑いたくなります。
百年後とは自分から数えて5代先の子孫が生きている時代です。そんな時代の子孫が誇れる、木組みの家を
建てていきたいです。

木の家のどこがいいですか?と聞かれます。
40年前に通っていた小学校は木造平屋、片流れ屋根で「鳥小屋」と馬鹿にされた校舎でした。
35年前に通っていた中学校も木造平屋の校舎でした。
教室の床板は何十年もの間、生徒に蝋と雑巾で磨かれ黒光りしていた南部赤松でした。
本当に節穴が開いていました。外壁も薄汚れた杉の下見板でした。
昭和50年代は当たり前に木に触れていました。
いつからか日常から木が無くなり、特別なものになった。
「癒される」
「湿気を吸ってくれから、からっとする」
「いい匂い」
「肌触りがいい」
「柔らかい」
「あったかい」
「なぜか懐かしい」
なんて昔の我々は考えもしなかったのですが、「当たり前」が「特別」になった今では木の力が見直されてきました。
日本人のDNAに木との相性が刷り込まれているような気がします。

家作りには色々な職種の職人さんが関わってきます。
大工舎の家の特徴は左官屋さんと建具屋さんです。
どちらも今の一般的な住宅建築には影が薄い存在です。
壁はビニールクロスに代わり、建具類は建材メーカーのカタログから選ぶ時代です。
しかし、大工舎の家は基本的に壁は漆喰の左官仕上げで、建具は全て建具屋にオーダーメイドです。
どちらも仕上げ方、デザインはお客様との打ち合わせで決めていきます。出来上がりは、漆喰の持つ調湿効果、殺菌効果、静電気を帯びないので埃が付きにくいなど大変機能的です。
建具も既製品にはない本物の美しさがあり、木の家になくてはならないものです。
もうひとつ関わってもらっている理由があります。
それは大工と同じで職人の数が減っていること。仕事は現場があってこそ学べるものです。
微力でも減少のブレーキになれば、仕事を見てひとりでも志す人が出てくれば、という思いです。
 
大工舎の家の特徴はなんですか?と面と向かって聞かれますが、スラスラ出てきません。
家によって、ホーム会社によって「売り」というもがあります。
キッチンが対面でアイランド型、ユニットバスが高グレード、デザイナーによるおしゃれな外観。
うちはなんだろう。いつも当たり前になってしまって、自分のアイデンティティーが見えなくなってしまいます。
<極力合板類、集成材は使わない>
言葉では簡単ですが、いざ実行するとなかなか難しいです。それだけ慣れ親しんでいたという事です。
<昔ながらの手刻みの構造体>
複雑な木組みを実現する為に、また大工技能を伝承していく為、無垢材の能力を活かす為。
<なるべく自然素材を使う>
仕上げ材はもちろん、断熱材、内部仕上げ塗料までも。
<打ち合わせから設計、施工まで>
最初から最後引き渡しまで大工舎代表の平戸が行います。
<出来ないとは言いたくない>
技術的なことで出来ないと言いたくありません。お客様の希望になるべく近づけます。
<職人の学びの現場>
職人が作り上げる建物です。既製品を貼りつける家ではありません。現場が鍛えてくれます。
 

2016年03月01日
木の家、コンクリの家、鉄骨の家、木の家風のビニールクロスと合板の家・・・

木の家、コンクリの家、鉄骨の家、木の家風のビニールクロスと合板の家・・・
どうして木の家なの?
じゃあコンクリート?鉄骨?木の家風のビニールクロスと合板の家?

大工になって3年、図書館で人生を左右する本を手にしました。
「明日なき汚染 環境ホルモンとダイオキシンの家」能登春男・あきこ著。
頭をハンマーならぬ玄能でボコボコでした。ぜひ読んでください。
自分の誇りがズタズタにされました。
施主の笑顔のためにやっていた仕事が、汚染された家、作りだって。
どうりでコンパネを切ったとき、変な匂いがしたと思った。フローリングも同じ。防虫土台も変な匂い。防蟻剤なんてゲーしそうになる。
そんなモヤモヤした気持ちで仕事を続けていた時、通っていた職業訓練校の先生が仕事を手伝ってほしいというので、日曜日に赤城山の麓の建築現場に行きました。
二度目の人生左右の出会い。
今では珍しくない自然素材の家が17年前にありました。これだと思いました。

その家は板倉工法と呼ばれる、柱間に3㎝厚の杉板を落とし込んで壁を作るやり方でした。筑波大学助教授 安藤邦廣氏が提案し、そのグループの一員である対比地設計が設計監理していました。
初めて見る、大工の技能と木材の美しさが光る感動の家でした。
もう普通の木造建築がちゃっちく思えました。虜です。
何回か手伝いに行き、対比地さんと顔見知りになり、建前の手伝いの後の慰労会の席で、思い切って対比地さんにお願いしました。
酒の力を借りて。「もうすぐ、青森に帰ります。この工法を使い青森で住宅を建ててもいいですか?」 「いいよ。やりな。」お酒に感謝です。

独立したのが10年前です。そんなかっこいい住宅に憧れ、自分が感動した家なら他の人も絶対感動する、そんな思いで、手始めに実験を兼ねて展示場兼自宅を建てました。
この展示場はこちらをご覧ください

独立を契機に社名を考えました。「~工舎」は決めていました。
法隆寺最後の棟梁の西岡常一、代々法隆寺のお抱え大工の家に生まれ、「法隆寺の鬼」と文化財建物専門の学者に言われていたそうです。その西岡棟梁の唯一の内弟子の、小川三夫氏が法隆寺大工の技を後世に残したいと独立し、師である西岡棟梁から頂いた名前が「斑鳩工舎」です。
勝手ながら工舎を頂き、さらにどんなに大きくなろうとも一大工に変わりがなく、また職人の集団という思いを忘れないために「大工舎」と付けました。
名前に恥じない仕事をしたいと思います。

2016年03月01日
木材は腐りやすいの?長持ちするの?

木材は腐りやすいの?長持ちするの?
木材は腐りやすいの?の問いへの答えは「はい」と「いいえ」どちらも正解です。
木は色々種類があり、腐りやすい物から土に埋めても腐らない物があります。
木材といっても様々な種類があり、用途も様々です。「適材適所」という言葉は、建築の世界の言葉が一般的に使われるようになったという事です。
適した材料を適した場所に使う、そうして木材は能力の100%を発揮できるのです。

現実はどうか?建築現場で骨組み状態の建物を見たことがあるでしょう。
柱をまじまじ観察したことがありますか?
縦に4・5本、筋が入っていませんでしたか?集成材と呼ばれる、薄い板を重ねて圧縮、接着した柱がほとんどの建築現場で使われています。
白い柱だったら間違いなく「ホワイトウッド」です。北欧から輸入された腐りやすい材料。安いから使っているの?決して安いわけではありません。流通の力です。(皮肉)

奈良の世界遺産「法隆寺」。世界最古の木造建築物です。
1400年前に聖徳太子によって建てられました。もちろん修理しながら現在に至ります。使っている木材は主に桧。1400年前の日本人が桧の耐久性を理解していた、という事です。
1400年後のこの日本。腐りやすい木材をわざわざ海外から輸入し、一生に一度建てられるかどうかわからない、35年ローンを使って建てる家の大事な柱に使う。
古代の人が涙を流して笑うな~。

2016年03月01日
国産材、外国材、どっちが良いでしょうか?

国産材、外国材どっちが良いですか?
私は20年前、29歳の3月から大工に習いとして、群馬県新田町の小さな工務店で働き始めました。それまでは自動車会社のプレス金型を作る工員、相模原の設計技師派遣会社の機械設計士、東京の一流ホテルの派遣ウエイター、カナダでのログビルダー、とさまざまな仕事をしてきました。
なので、大工としてはだいぶ遠回りでのスタートでした。
でも良かったこと、普通の目で建築の世界を見れたことです。

その当時の工務店は自分の作業場で構造材を加工する。今のように「プレカット」はしなかった。「プレカット」とは構造材を工場の機械で加工し、大工さんはノータッチ。
建前の時初めて木材とご対面する。
工場の機械は曲がった材料を嫌う、無垢材だと曲がる恐れがある、と理由で曲りづらい集成材多用するのです。

話を20年前に戻します。
疑問に思う事、「どうして外国材使うの?」
群馬にだって山はあるし、木だって生えている。なのに米松?北米産の本名ダグラスファー。
その辺、誰も疑問に思わない。そういえば、カナダの西の玄関口バンクーバーを拠点に、ログビルダーの仕事を求めてブリティシュコロンビア州を、車で寝泊まりしながら走ったとき、小高い丘の道路から見渡す限り、木の伐採あとを見たことがありました。
根こそぎ何もなかった。このすべてが日本に行っているの?日本人としての罪悪感。

イギリス人の書いた本を読んだことがあります。大工になって建築に関する本を図書館で借りまくった時期です。それには「日本人は国土の70%の森に囲まれて住んでいるのに、外国の森を荒らして木材を買い漁る。」
 ただただ申し訳ない・・・。外国にも耐久性の高い木材や目の綺麗で素晴らしい木が沢山あります。国産材の全てが優れているわけではないです。
やはり、すぐそばにある木を使う。日本産、青森県産、地元産。
無いときでいいんじゃないかな~、外に目を向けるのは。
お問い合わせ、見学希望、お気軽にどうぞ 0178-87-3547 お問い合わせフォームへ